自分を旅する

本当のケアは自分の中に

人生の旅

私たちは人生の旅路を歩んでいます。
旅行に行くとき、あなたは何を持って行きますか?
同じように人生の旅路にあなたは何を伴って行きますか?

私たちの旅

私たちは人生の終点に向かって人生を歩み続けます。
それは予測不可能な未知の旅です。

未知の旅

昨日から今日、そして明日へと、一歩一歩、未知を歩んでいます。
個人差はあっても「成長」も「老い」も同じく未知です。

そんな中、生涯にわたって自分と共に歩むのが「自分自身」です。
私たちは様々な要素をもって人生の旅路を歩みますが、自分自身と言う偉大なパートナーが常に一緒に歩みます。

自分自身

自分自身とは何でしょうか?
この体のことでしょうか?
自分の感情のことでしょうか?
この考えている思考のことでしょうか?

どんな出来事も「自分」無しでは起こりません。
では、そんな「自分」とはどんなものでしょうか?

私たちの体

私たちの体は、常に働いています。眠っているときも素晴らしい働きをもって様々なことをしています。
この体の働きは思考の影響を受けますが、思考がすべてをコントロールしているわけではありません。
体は膨大な情報を処理しつつ、私たちの思考をサポートしてくれます。
それがわかるワークがあります。「視線のワーク」です。

視線のワーク

視線の先にあるものは?

ワークの方法

人数が3人以上必要です。ここでは仮にAさん、Bさん、Cさんとしておきます。
Aさんが「見る人」、Bさんが「見られる人」、Cさん以下が「仕掛けと観察をする人」です。

ワークですること

AさんにはBさんと向かい合って全身を観察してもらい、その後、CさんがBさんの容姿にほんの少し変化をつけ、Aさんはその変化を見つけます。

詳細

まず、AさんとBさんが向かい合い、Aさんが「OK」と思うまで、Bさんを観察し、そのあとに後ろを向きます。Aさんが後ろを向いたら、CさんがBさんの容姿をほんの少し変えます。例えば、髪形をほんの少し変えたり、ボタンを一つ外したり、裾を少しまくったりします。容姿を変え終わったら、CさんはBさんの後ろに立ちます。そしてAさんの視線を観察します。
さて、AさんはBさんの変化に気づくことができるでしょうか?
そして、CさんはAさんの視線が一体いつもどの辺りを指しているかをしっかり見ておきます。

ワークから学べるもの

おそらく、その視線の結果に驚きがあったと思います。
私たちの体が捉えている巨大な情報量とそれを邪魔する思考にも気づくことができたでしょうか?
答えがわからなくても体は情報をしっかりと捉えています。その体からのメッセージを思考が拾い上げたならば、思考→体ではなく体→思考という状態を体験できます。

私たちの感情

私たちの体は素晴らしい情報を持っています。でも、体だけでは「自分自身」とは言い切れません。
私たちの感情はどうでしょうか?
私たちは時折、頭が追い付かず、なぜ自分が涙を流しているのかわからないという経験をします。こういった体験をしたことがある方はわかるのですが、体の奥底で何かが震え心の琴線に触れているのがわかります。
頭は追いついていなくても巨大な情報量を持つ体と感情は働いているのです。しかし、それはある意味深い思考でもあります。
そのことがわかるワークを紹介したいと思います。

感情と思考のワーク

私の感情

自分の感情を見出す

自分が大きな感情に流されたときを思い出してください。
その時、その感情はどんな感情だったでしょうか?
喜び?
怒り?
悲しみ?
どんな感情だったとしてもその時、その感情を「感情の動き」と分かったのはなぜでしょうか?

自分の感情を判断する自分

感情がわかる理由は、それを見ている自分がいるからです。
どんな感情であっても、その感情を見ている自分もそこにいるのです。
感情は体の中で思考と共に同居しているのです。

私たちの思考

感情はとても大切なものですが、それだけでは「自分自身」とは言えません。
それを見る自分がいるからです。
では、私たちの思考こそが「自分自身」でしょうか?
私たちの思考がわかる単純なワークを紹介いたします。

コップのワーク

コップの水の量は?

コップの水

ガラスのコップを想像してみてください。中には半分まで水が入っています。

この場合、半分まで水が入っていることが事実ですが、私たちは見方によって「コップに半分しか水が入っていない」「コップに半分水が入っている」と自分の考えをつけくわえることもできます。

半分の水の例は良くポジティブシンキングやネガティブシンキングの話で出てきますが、ここで取り扱うことはそういった意味ではありません。

私たちは様々な考えを持ち、その思考を時には事実に付け足すこともあるということです。

思考

コップのワークのように、多くの出来事から私たちは自分が「どう考えているか?」を学ぶことができます。それは自分の思考と出会うことともいえます。普段、もはや無意識的ともいえるような選択にも私たちは何かを考えて選び取っているものがあるのです。

しかし、普段はその選択を半自動的に行っているため、自分自身に気づくことがなかなかできません。その結果、自分にとって有害な思考のループに陥ったり、思考によって体本来の働きを邪魔したり、辛い思いから抜け出しにくくなったりします。
でも、そんな時でも体はしっかりと働き、感情を持って生きています。
思考も「自分自身そのもの」とは言えません。

自分自身

何層にも積み重なった集合体

自分自身

体、感情、思考どれもそれだけでは自分自身とは言えない。
でも、その要素の一つ一つに自分自身はいる。
自分自身はこれらの集合体なのだ。

立ち止まる

時々、私たちはふと立ち止まることがあります。

「あること」に気づいたときです。

仕事を辞める前や、大切なものを見い出したとき、難しい問題の対処法に気づくときなどに起こります。

私たちはその時、どうしてそこに至ったのでしょうか?

意識的にしろそうでないにしろ私たちはその瞬間に自分の内の声を聞いているのです。
自分の内の声は普段考えていることとは全く違ったり、そのときの問題の答えを教えてくれたり、驚くべきものがあります。

その内なる声はどこからきたのでしょうか?
まるで外から来たかのようにふっと湧いて出てきますが、それはまぎれもなく自分からやってくるのです。

世界をあらためて見る

私たちは思考から自分を推し量ろうとします。
「私は○○な人間だ」「私は○○な所がある」
などの表面的なことから、実は深い自分までを思考で推し量るのです。

けれども、真実の自分はそうした要素を持っていても、自分自身の本当のサイズではないのです。

「私の名前は○○だ」「私は男性(あるいは女性)だ」
といった要素も。その要素=自分自身の本当のサイズとは違うのです。

そうした巨大な私たちの本当のサイズを持っていることを認識して、世界を見るとどんな風に見えるのでしょうか?

思考で推し量るだけではなく、心も体も含めた何層もの複雑な自分自身を持っていることを認識して世界を見るとどんな風に見えるでしょうか?

私たちが生まれたときはそういったサイズそのものを持って生まれてきているのです。

自分自身のワーク

自分自身のワークに終わりはありません。
その都度、そのときに丁度良い自分自身との対話があるだけです。
でも、その奥に大きな大きな自分自身に気づきながら、世界を見るとどんな風に行動できるのでしょうか?

そんな風に、あらたな一日を始めて、周囲の世界や人々を見たらどんな風に見えるのでしょうか?

「私は何?」たった一つの質問をもって、ワークをするだけでも色々な広がりが生まれるのです。

世界を見る

私たちは自分自身を通じて世界を見ています。体を通して世界を見、心を通して世界を感じ、思考を通して推し量ります。つまり私たちは自分自身を通してしか世界を見ることができません。
そのため、一つの物事を見る際の視点は自分自身を通じて変わります。

本当のケアは自分の中に

自分を旅することはケアでもある

本当のケアは自分の中に

私たちは人生を旅し、それはある意味自分を旅することでもあり、そしてそれは体や心、思考がバラバラのようでいて、複雑に絡み合った、巨大な自分自身をもって旅することでもあります。
それはある種のエネルギーであり、現れあり、存在でもあります。
そんな大きな自分が選んでいくことに認識を持って、今の自分を生きていきます。
そこには本当のケアの形が現れます。
そのケアの力を持って、自分自身の旅を選んでいく。
私たちはそんな自分を旅するのです。

自分を旅する

自分を旅する。
それは自分の内面を旅するようですが、実は自分が照らす世界を旅することでもあるのです。
自分を伴った人生の旅はまた自分をケアする旅でもあるのです。